歴史

岩谷堂中町の料亭、新茶家の創業は江戸時代に遡ります。
料理店としては文化年間(1804~17)には既に営まれており、当時の店主、和賀榮七は「マル七」、子の万五郎の代には「和万」という屋号を用いていたようです。現在もそれぞれの屋号が表記された食器類が伝えられており、その血脈を辿ることができます。
新茶家の名を最初に号したのは明治期の店主、和賀新右衛門。
新右衛門は文久3年(1863)に生まれ、明治維新の激動を経て家業を受け継ぎました。当時の手帳からは、日本料理店の趣はそのままに、東京に出向いては西欧文化の象徴であったコーヒー豆を仕入れたり、江刺で栽培が始まって間もないリンゴを食材に用いるなど、先見性に富んだ人物像が垣間見られます。
こうして新右衛門は、和食文化の伝統を守りながらも当風を意欲的に取り入れ、新時代における料亭 新茶家の礎を築いたのでした。

大正5年(1916)10月、岩谷堂の青年らによって構成される団体、自然会の招請により、盛岡出身の政治家で当時、政友会総裁を務めていた原敬が新茶家を訪れています。
その時の記実を「何れも盛会なりき」 と手記にも綴られています。この約2年後に原は首相に就任。日本初の本格的な政党内閣を発足させ、のちに「平民宰相」と呼ばれました。
店内には原が訪れた際の集合写真が飾られ、歓迎会に臨んだ大広間も健在です。

江戸時代の創業から現在に至るまで、時代ごとに変化をとげながら続けて来られました。

歴史を重んじながらも、お客様に感謝し、時代の流れを見据え、新茶家という空間をこれからも守り伝えて参りたいと思います。

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